“笑い”の裏に潜む危険

 私は、お笑い芸人さんやお笑い番組が本当に大好きです。

 面白いと思う番組はテレビも録画予約して観ますし、YouTubeもいろいろと面白い番組を探して時間のある時に観てゲラゲラ笑っています。

 ただ一方で、不安になる時もあります。

 芸人さんたちの間で、ドッキリや“いじり”がある時です。

 ドッキリや“いじり”ももちろん私は好きですが、果たして子どもたちがこの“笑い”の構造の本質について理解しているか、ということが心配になるのです。

 芸人さんたちはそれが「仕事」であり、「台本」があり、信頼関係のある仲間同士の“やり取り”であることを理解した上で出演しています。いじられる側にもそれなりの報酬(ギャラ)があり、それが成立する“構造”があります。

 そして何より大事なのは、そのやり取りには“始まりと終わり”があるということ。

 撮影が始まる前には「よろしくお願いします。」と挨拶を交わし、カットがかかった後には「ありがとうございました。」と声をかけ合う。「これは演出であり、仕事である」という共通理解があるからこそ成立する関係なのです。

 さらにその裏には、カメラマンや音声スタッフ、照明、美術、ディレクターなど、たくさんのスタッフが関わり、番組としての「見せ方」や「編集」を加えて作り上げられています。笑いのやり取りも、その場の空気も、“演出された世界”の一部でしかないのです。

 そして“いじられキャラ”として笑われる芸人さんたちも、収録が終われば一人の人間です。帰る場所があり、そのギャラで日々の生活を送り、大切な家族がいます。

 画面に映っているのは、あくまでもその人の「仕事中の姿」です。

 けれど、多くの子どもたちはそのような裏側の構造までは見えていないのではないでしょうか。

 「強く言っても笑っていればOK」

 「いじっても面白ければ許される」

 子どもたちが単純にそんな風に受け取っていないか、私はゲラゲラ笑いながらも、ふと心配になります。

 だからこそ、私たち大人が、その“笑い”の裏に潜む危険についてきちんと伝えていく責任があると思います。

2025年04月30日